2008年2月28日木曜日

三木鉄道(おまけ版)

三木鉄道(おまけ版)
(加古川線今昔:駅編)




 今回訪問した三木鉄道も北条鉄道も、JR西日本の加古川線から枝分かれしています。この訪問では三木鉄道と北条鉄道のほか、加古川線を見るのも楽しみの一つでした。私が、以前加古川線を最後に見たのは、ディーゼル時代の昭和54(1979)年の夏でした。それから30年近く経った今、どんなに変わっているのかを楽しみにしていたのです。

 大きく変わったことは、電化されて電車が走っていたことでした。このことは3~4年前に加古川駅を通った時、高架化と電化の工事を目にしていたので、今回訪問して電車が走っているのを見ても、それはごく自然に受け入れられたのです。




 三木鉄道を見終わったあと、私は厄神駅から加古川駅まで三駅間を乗車しました。線路や沿線はあまり変わっているようには見えませんでしたが、この区間の駅はすべて新築され、大きく変わっていました。

 右の写真は、三木鉄道と接続の厄神駅です。中央の二本の線路が加古川線です。駅に入る手前で右に分岐している線路が、以前三木線に入るための線路でした。しかし、今は砂利で埋められ、草むして通れなくなっています。

 駅の向こう側で加古川線は大きく左にカーブして行きます。しばらく真っ直ぐ走る三木鉄道との間に新しく加古川線の車庫が出来ていました。これは大きく変わった点です。

 ホームの左側が駅舎ですが、おそらく電化工事の時に跨線橋も含め新築されたのでしょう、新しくきれいな駅舎でした。


  私は厄神駅始発のクモハ125に乗り、加古川駅に向かいました。





 次は神野(かんの)駅です。ホームはかさ上げされ、ホームの屋根も跨線橋も新しくなりました。











 次の日岡(ひおか)駅です。この駅もかなり変わりました。写真を拡大するとホームのかさ上げの状況が、前の神野駅の写真より良く分かります。 跨線橋が無いのは昔も今も変わりません。






 昔の日岡駅です。写真の中央付近にポイント操作の長いレバーが並んでいます。昔の単線区間の駅の当たり前の姿です。

 乗客が犬と遊んでいるのものどかな光景です。 このホームは上り線側(上の写真の右側)のホームです。



 列車の交換風景です。駅長さんがタブレットを持って列車の到着を待っています。タブレット交換は昔は当たり前の光景でしたが、今はほとんど見られなくなりました。







 この写真は<おまけのおまけ>です。今は無くなってしまいましたが、加古川から南の方向、高砂まで加古川線の延長の様な形で、線路が延びていました。高砂線です。この写真は、高砂線の列車が出発して行く所です。




 こちらは<おまけのおまけのおまけ>です。加古川を出た高砂線の最初の駅、野口駅です。昔はここから別府(べふ)鉄道と言う私鉄が出ていました。左の車両が高砂線、右が別府鉄道のディーゼルカーです。別府鉄道に付いては改めてご紹介致します。
(続く)

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