2008年2月26日火曜日

三木鉄道に行って来ました(5 三木鉄道 その3)

やっと三木鉄道です
(その3 線路編)
(訪問日: 平成20年2月19日) 



 どの鉄道にも線路の距離を測る基準点があります。三木鉄道も基準点、つまり、0Kmの点が定められており、そこからの距離を示すキロポストが線路に設置されています(路面電車など、キロポストのないところも有ります)。この写真の中央部やや左寄りに、黒字で ‘0’ と記された白く細い頭部のとがった小さな柱が見えます。これが 三木鉄道の基準点です。



 実際には、この点まで車両は行きませんので乗客は 0Km地点からスタートすることは出来ません。普通はこのようなことは無いのですが、三木鉄道の場合は国鉄時代の線路をそのまま使っているため、ちょっと外れた場所になってしまったものと思います。基準点の位置も、基準点から各駅までの距離もすべてその駅の駅長室の位置を基準として決められています。三木鉄道のゼロ点は、国鉄時代に厄神駅の駅長室の場所によって決められたゼロ点をそのまま使っているのでちょっとずれた場所になってしまったのでしょう。

 線路の先には砂利が積まれ、車両止めの標識が立てられています。昔はこの先まで線路が延びていて、加古川線に接続していたのです。三木鉄道に変わって、線路は外されてしまいました。





 この写真は、上の写真の反対側、三木方面の写真です。右端の線路が三木鉄道です。左寄りの加古川線はこの先で左に大きくカーブしています。三木鉄道は少し先の方で右に大きくカーブしています。その間に、加古川線の車庫が新設されていました。



 左の写真は、お隣の国包駅から厄神方面を見た写真です。ホームの三木側の端に、 1Kmのキロポストが立っています。線路に立てられている標識には、キロポストのほかにカーブや勾配を示す物など色々なものが有ります。そして、これらは基本的に下り方向に向かって左側に立てることになっています。厄神駅のゼロ点ポストは反対側に立てられていました。なぜでしょうか。

 
 なんの変哲もない写真ですが、国包駅と次の宗佐駅の間です。道路から見えなかった線路が初めて見えた辺りです。三木行きの列車は、国包駅を出ると間もなくこのような広々とした田んぼの中を走ります。






 宗佐駅手前の踏切です。もちろん無人の自動踏切です。国鉄時代に、遮断機や警報機など有ったのでしょうか。今、このような見通しの良くない踏み切りで遮断機などがなかったら大変なことになることでしょう。



 宗佐駅を過ぎると、小高い丘に差し掛かります。線路と並行した道路は丘を登って行きますが、鉄道は切通しを走ります。三木鉄道唯一の山岳路線風の場所です。



 切通しのもっとも深い辺りを俯瞰したところです。








 上の写真の場所を走る列車の中から撮った写真です。






 石野駅と西這田駅の間に有った鉄橋です。ちゃんと鋼板をリベットで組み立てた標準的なガーダー橋です。はっきりはしませんが、この構造の橋はこれが当線唯一ではなかったかと思います。



 田んぼの真ん中の素晴らしく見晴らしの良いところに有る踏切です。こんな見通しの良い所にある踏切にも警報機と自動遮断機が設置されています。昔なら考えられなかったことです。今の時代、こういった設備が無くて事故が起こったら大変な問題になるのでしょう。
 
 



 別所駅近くのコンクリート橋です。これもおそらくこの鉄道唯一のコンクリート橋ではないでしょうか。







 5Kmのキロポストです。別所駅の手前です。




 まもなく終点三木駅です。民家の門をかすめるように線路が通っています。
 この橋は、H型鋼を組んだだけの簡単な構造の橋です。







 特に珍しいものではありませんが勾配標識です。登り 12.5‰を表しています。

 
 いよいよ終点三木駅です。三木鉄道の線路の最終点です。正面に車止め標識が立てられています。
 (続く)

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