2008年2月25日月曜日

三木鉄道に行って来ました(4 三木鉄道 その2)

やっと三木鉄道です
(その2 駅編)
(訪問日: 平成20年2月19日)

 三木鉄道には全部で九つの駅が有ります。終点の三木駅以外はすべて無人駅です。また、北条鉄道の法華口駅のような、元交換駅だった跡が残っている駅も有りましたが、交換可能駅は一つも無く、全区間一閉塞区間です。全部の駅を見て行きましょう。
1.厄神(やくじん)駅
 三木鉄道の本社は終点の三木駅にあります。しかし、起点駅はJR加古川線との接続駅である厄神駅です。JRの駅に付属しているような無人駅です。この点、やはり無人駅ながらJR加古川線との接続駅である粟生駅が起点駅となっている北条鉄道も同じです。北条鉄道の本社も、終点の北条町駅に有りました。いずれも接続駅である無人駅が起点駅になっているのは国鉄時代の流れでしょう。
 三木鉄道のホームはJR加古川線の上りホームの反対面で、JR側より20~30cmほど低くなっています。JRが電車導入時に嵩上げした結果そうなってしまったので、わざわざ低くしてあるわけではありません。北条鉄道の粟生駅も同じ状況でした。
 

2.国包(くにかね)駅

  厄神駅を出てカーブを大きく右に曲がって行くと、すぐに国包駅が有ります。
 写真の向こう方向が厄神駅です。
 厄神駅から1Km地点です。駅舎と言うか、待合室と言うか、小さなコンクリートの建物がありました。全線でただ一つだけのコンクリート製です。国鉄時代に建てられたのか、三木鉄道になってから建てられたのかは分かりませんが、事務室や待合のベンチが有るところを見ると、どうやら国鉄時代のもののようです。他の駅や沿線の風景から何か浮いた感じでした。中には、時刻表と営業終了のお知らせポスターなどが幾つか貼られていました。
 
 ボランティア活動なのか、鉄道が用意したのか、ホーム側に花が少し植えられていました。
 前のブログで記したように、ここまでは列車に乗ってきましたが、ここで下車、ここからは、道を探しながら歩いて行きます。  
 




3.宗佐(そうさ)駅

 国包駅から線路にぴったり寄り沿った道路は有りませんでした。線路はほぼ東西に走っていますので、写真のことを考え、南側の道路を行きたいと思いました。国包駅のすぐ先にある踏切の道路を歩き始めましたが、どんどん線路から離れて行きます。すぐ横を通っていてくれると最高なのですが、そうは問屋が卸しません。
 交差する道があるたびに線路の方に行って見ます。道路と線路の間を行ったり来たりです。10分ほど歩いた所で駅を見付けました。うっかりすると見落としてしまいそうな駅です。駅舎は無く、簡単な、庇のような屋根があるだけです。このような形は私の子供の頃東京の私鉄でも良く見かけたスタイルです。案外、全国的な標準タイプだったのかも知れません。厄神駅から1.5Kmの所です。


4.下石野(しもいしの)駅

 宗佐駅を過ぎると、線路がだんだん遠くなってきた感じです。道路は上り坂になってきました。坂の頂上の近くに信号が有りました。その交差点を左に行ってみましたが、線路は見当たりません。100mくらい歩いたでしょうか、橋らしきものが見えて来ました。
 それは線路を跨ぐ橋でした。道路は小高い丘を登って通過していましたが、鉄道は切通しになっていました。
 橋の上から線路の写真を撮って、また元の道に戻り歩を進めました。この丘を越える間は線路がどこにあるのか分かりません。離れ離れにならないことを祈るばかりでした。

 阪を下りきると左手に線路が見えました。道路からの距離はこれまでとあまり変わらないように思えました。
 しかし、ここで私は駅を一つ見落としていたのです。下石野駅です。次の石野駅の駅名標を見てそれに気付きました。止むを得ず、そのまま三木まで歩き、帰りに乗る予定の列車からこの駅を撮影することにしました。幸い何とか撮影できた写真がこれです。面白いことにプラットホームのすぐ向こうに踏切が有るのに、駅の入口は手前側にあり、三階くらいまで上がるような高い階段が付いていました。厄神駅から2Kmです。




5.石野(いしの)駅

  丘を下りきった辺りから、道路の左手大体 100m以内にずっと線路が見えていました。辺りはずっと田んぼです。天気は良いし撮影には絶好です。厄神行きの列車の写真を撮ったり線路の写真を撮ったりしながら歩くうちに左手に駅が見えました。石野駅です。この線で初めて見る国鉄時代の駅舎です。向かって右側は宿舎にでもなっていたのでしょうか、この程度の路線の駅舎としては大きい方です。


 右の写真は、ホーム側から見たものです。この写真ではあまり良く分かりませんが、左手に昔交換駅だった名残が見えました。
 自動車が少し写っていますが、駅前には車が何台か置ける駐車場が有りました。土地が十分とれる地域ですから付近の人たちのための駐車場とも思えません。ひょっとしてパークアンドライド用でしょうか。もっともここまで車で来るなら、もっと先まで行ってしまいそうな気もします。厄神駅から2.6Kmです。




6.西這田(にしほうだ)駅


 ここも駅舎のない駅です。三木鉄道発足のとき、駅を幾つか増設したと聞きました。多分駅舎の無い駅がそれだろうと思いました。ホームの裏に大きな工場が有りました。
 駅名標の隣に<別所小PTA  児童用>と書かれた時計が掛けてありました。PTAから寄付されたものでしょうか。時間が合っていたところを見ると誰かがメンテナンスしているのでしょう。
 厄神駅から4.3Kmの所です。やっと半分を過ぎました。




7.別所(べっしょ)駅

 だいぶ家が多くなって来ました。三木の中心が近付いてきたようです。この駅も、石野駅に似て、いかにも国鉄地方線の小駅と言った感じの駅です。この駅にも、昔交換駅だった名残が有りました。
 駅前には、太い大きな木が有りました。葉が茂ると良い日陰が出来そうです。また、珍しく公衆電話ボックスが有りました。
 厄神から5.3Km地点です。











8.高木(たかぎ)駅

 この駅も三木鉄道になってから造られた駅のようです。どう言うわけか、道路からホームまでのアプローチが他に較べて長くなっていました。

 厄神駅から6.0Km、次はいよいよ終点の三木です。






9.三木(みき)駅
 
 高木駅を過ぎると、道路は線路から少しずつ離れて行きました。線路との間は、これまでの田んぼではなく家が建て込んできました。三木駅を見失わないようにしなければなりません。多分この辺だろうと見当を付け、線路の方に行きました。なかなか線路に行き当たりません。三木駅は終点です。もし行き過ぎていたら線路に行き当たりません。

 道が二股に分かれていました。ちょっと行き過ぎ気味かと思っていたところなので、左に向かいました。

 正解でした。国鉄の貨物ホーム独特の雰囲気の建物が見えました。どうやら貸駐車場になっているようでしたが、どう見ても国鉄くさい建物です。三木駅に到着しました。

 厄神駅から6.6Km、終点の三木駅まで歩きました。でも、まだ気を緩めることは出来ません。あと国包と厄神の間が残っています。ここから列車で国包まで行きます。あと一頑張りです。

 三木の駅舎もやはり国鉄の地方駅的です。JRにもあまり残っていないのではないかと思います。下野駅、別所駅、そしてここ三木駅、願わくばこのままの姿で残って欲しいものです。でも、それははかない夢に終わってしまうのでしょうか。寂しいことです。






 いかにも国鉄の古い終着駅らしい光景です。右側のホームの線路は外され、ホームはバイクや自転車の置場になっていますが、三木駅なりの昔の栄華を思わせます。JRにも当然このような駅はたくさん有ったわけですが、次から次へと改築されていきます。このホームも駅舎とともに残って欲しい。強い思いです。



 三木駅には三木鉄道の本社が有ります。そしてこの駅は唯一の有人駅です。駅長さんが厄神行きの列車を見送っていました。昔の国鉄では当たり前の姿でした。今は、ほとんど見られなくなってしまった光景です。
 
 何とか全駅を見てきました。あとは、線路を初めとする施設のことを少し書き留めておきたいと思います。
 (続く)

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